「ほぐす」とは、“ほどく”こと。心も身体もほどいていく過程
- タナカユウジ
- 5月3日
- 読了時間: 3分

整体の仕事にたずさわる中で、「ほぐす」という言葉の重みを、何度も考えさせられてきました。
ほぐす。それは、力を込めて押し広げることでも、固まったものを無理やりねじ伏せることでもありません。
本当にほぐすとは、絡まったものを、静かに、そっと、ほどいていくこと。
力ずくではほどけないものに、焦りや怒りではほどけないものに、私たちは日々向き合っています。
身体を「ほどく」
ある人は、肩をすくめたまま何年も過ごしていました。ある人は、呼吸が浅く、胸の奥で息を止めるように生きていました。
その人たちにとって、こわばりは敵ではなく、
「生きるために、必要だったもの」だったのかもしれません。
寒さに耐えるため、痛みから守るため、心を折られないようにするため。
そうして積み重なった緊張を、いきなり「力を抜いてください」と言われても、身体はうまく反応できません。
だからこそ、そっと触れ、そっと待ち、呼吸をあわせながら、少しずつ、「今はもう大丈夫だよ」と伝えていく。
ほぐすとは、身体を無理に開かせることではない。身体が、自分の意志でほどけていくのを待つこと。
そんなふうに感じています。
心を「ほどく」
心もまた、同じように。
誰かに押されても、説得されても、本当にほぐれることはありません。
心をほどくのは、いつも、その人自身の力。
そのために必要なのは、急かさないこと。押しつけないこと。
静かにそばにいて、温かい場所を用意して、「ほどけても、ほどけなくても、どちらでもいいよ」と見守ること。
心は、自分のタイミングでしか、ほどけません。
ときに、それは施術のなかで起きるかもしれないし、ときに、まったく関係ない場所でふっと起こるかもしれない。
それでも、「そばにいた」という事実だけが、小さな灯りになることがある。
私はそんなふうに、心をほどく営みを支えたいと思っています。
ほどく、という生き方
ほどく、という行為は、どこか「弱さ」のように思われることがあります。
しっかりしなきゃ。強くあらねば。頑張らなければ。
そんな声が、私たちを縛りつける。
けれど本当は、ほどくことこそが、生きる力そのものかもしれません。
固く結んだままでは、呼吸もできない。血も流れない。
ほどくことで、新しい風が入り、柔らかな命が流れ出す。
それは、恥ずかしいことでも、情けないことでもない。
むしろ、「生きようとする力」そのもの。
そう思うのです。
日々、施術をとおして思うこと
身体が少しほどけると、その人の顔つきが、ふっと変わる瞬間があります。
心がほどけると、言葉が静かになり、呼吸があたたかくなる瞬間があります。
私は、その瞬間に立ち会えることが、この仕事の何よりの喜びだと感じています。
整体師として、特別な力を持っているわけではありません。
ただ、少しだけ、一緒に呼吸をし、一緒に待つことができるだけ。
そして、「いま、ここで生きている」という感覚を、そっと温めるお手伝いができたら――それだけで十分だと思っています。
今日もまた、誰かの身体と心に、静かに触れて、ほどくための一歩を、いっしょに歩いていきたい。
そんな想いで、日々施術に向き合っています。
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