医療と整体の歴史シリーズ 第4回:中世の医療と身体のまなざし──断絶と継承のあいだで
- タナカユウジ
- 8月4日
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3世紀から13世紀(おおよそ西暦200〜1200年)は、世界の歴史全体においても大きなうねりがあった時代です。
ヨーロッパではローマ帝国が崩壊し、西ローマ滅亡後は中世の封建社会が始まります。キリスト教が国や法を超えて人々の精神的拠り所となり、宗教が医療や科学にも強く影響を及ぼしました。
同じころ、アジアでは唐や宋といった中国の王朝が繁栄し、官僚制度や印刷術・火薬・羅針盤といった技術革新も始まりつつありました。
中東ではイスラーム世界が広がり、科学・哲学・医学が黄金期を迎え、知の中心が西洋から東洋に移ったとも言える時代です。
日本では古墳時代・飛鳥時代・奈良時代を経て、平安時代から鎌倉時代へと移り変わり、律令制のもとでの国家統治と宗教的価値観が混在しながら独自の文化が育まれていきました。
このように、中世とは単なる「暗黒の時代」ではなく、政治や宗教、戦争と発見、文化と衝突が複雑に絡み合った時代でした。そのなかで「身体をどう見るか」「病をどうとらえるか」という問いも、地域や宗教によって大きく異なっていたのです。
現代の整体が大切にする「全体性」「流れ」「触れる視点」は、こうした歴史の地層の中から静かに育ってきたのかもしれません。
この回では、中世ヨーロッパ・イスラーム世界・東アジア・日本の医療と身体観を横断しながら、整体につながる視点のルーツをたどってみます。
宗教支配下の身体──中世ヨーロッパの医療観
中世ヨーロッパでは、キリスト教が社会を統治していました。医療は「魂の救済」と結びつけられ、病気は「罪」の結果とされることもありました。そのため、身体に触れることや、積極的に回復を促す行為は、時に神の意思に逆らうものと見なされることもありました。
しかし一方で、修道院では薬草が育てられ、祈りとともに傷の手当がなされていました。血を抜く・ハーブを使う・温かい湿布を当てるなど、実践的なケアは途絶えたわけではありません。
「身体をどう触れるか」は語られにくい時代であっても、「どう関わるか」は手放されていなかったようです。
翻訳と継承の架け橋──イスラーム医学の成熟
中世のイスラーム世界では、医学は宗教と矛盾するどころか、むしろ信仰と調和しながら発展していきました。
ギリシャやローマの古典医学がアラビア語に翻訳され、「知は神への奉仕である」として、科学・天文学・薬学などと共に高度に洗練されていきます。
アヴィケンナ(イブン・シーナー)は『医学典範』という大著を著し、解剖学・病理学・薬理学を体系的に整理しました。
これは後のヨーロッパ医学にも大きな影響を与えることになります。
バグダッドやコルドバなどには、図書館と病院を兼ねた教育施設があり、患者は階層や宗教に関係なく受け入れられていたといいます。医師たちはカルテをつけ、患者の病状を経時的に観察し、症状に応じて薬剤を調合していたという記録もあり、まさに“先進的な病院”の原型がこの時代に存在していたのです。
とはいえ、当時の治療法にも微笑ましいものがないわけではありません。たとえば「鼻血にはラクダの尿を使う」「しもやけには焼いたナスを当てる」といった処方が医学書に登場したり、「風邪には詩を聞かせるとよい」など、心身一体のアプローチがとられていたのもイスラーム医学らしい一面です。
このように、イスラーム医学は理性的かつ総合的であると同時に、どこか人間味あふれる感性も持ち合わせていたのです。
イスラーム世界では、ギリシャやローマの古典医学が積極的に翻訳・吸収され、アヴィケンナ(イブン・シーナー)らによる高度な医療体系が築かれていきます。
病院(バイマルスタン)では、患者の隔離・薬剤の調合・観察と記録といった、近代医療にも通じるアプローチが既に存在していました。
この時代、身体は「神の創造物」であると同時に、「探求すべき対象」でもありました。触れることよりも、理解し、説明し、理にかなった処置を行うことが尊ばれていたのです。
気と流れの視点──東洋医学の体系化と実践
一方、東アジアでは中国を中心に、気の流れ・陰陽五行・経絡といった思想が整理され、「身体全体をひとつの流れとしてとらえる」枠組みが形作られていました。
宋代には医学書が編纂され、鍼灸や按摩の体系も洗練されていきます。
やがてこの知識は朝鮮半島を経て日本にも伝わり、僧侶たちが鍼や薬草を使って人々に施術を行っていた記録も残っています。
東洋医学における「身体を分断せず、ひとつながりの流れとして観る」まなざしは、現代の整体にも通じる深いルーツのひとつといえるでしょう。
日本の医療と身体観──僧医と陰陽道の交差点
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、日本では中国から伝わった医薬の知識と、土着の信仰や民間療法が交じり合い、独自の医療文化が育まれていきました。
特に寺院や神社では、僧侶が「僧医」として薬草や鍼灸、祈祷を用い、人々の病に寄り添っていた例が多く見られます。また、陰陽師による身体観や、道教的な「気」の概念が、身体に対する見方に影響を与えていたとも考えられています。
「整える」「めぐらせる」「祓う」といった発想が、この時代の医療や日常の身体ケアの中に入り込んでいたことは、現代の整体の基盤を形づくるうえでも興味深い点です。
中世における“とんでも医療”と試行錯誤の痕跡
現代の視点から見ると、思わず二度見してしまうような“とんでも医療”も、この時代には数多く存在していました。
たとえば中世ヨーロッパでは、「悪霊が病の原因」と信じられていたため、悪魔払いの儀式が真剣に行われ、患者が暴れれば“悪魔が嫌がっている”とみなされ成功とされたとか。また、「頭蓋骨に穴をあけて悪霊を逃がす」開頭術(トレパネーション)は、麻酔なしで行われ、驚くべきことに生き延びた痕跡のある頭蓋骨も発掘されています。
「四体液説」に基づいた瀉血(しゃけつ)では、どんな病気でもまず血を抜くのが基本。
風邪でも胃痛でも、極端な例では“気分が晴れない”という理由で健康な人の血が抜かれることもあったとか。
中国では、「虎の骨を煎じて飲むと勇気が湧く」「竜のひげで神経が整う」など、もはやファンタジーの世界のような処方が真面目に行われていました。
日本でも、病の原因を“もののけ”や“たたり”と考え、呪符を貼ったり、お経を何万回と唱えたり、場合によっては病人に“なぜ病気になったのか”を自己申告させてお祓いするなど、まさに心当たり確認型医療(?)が展開されていたようです。
笑ってしまうような話もありますが、こうした“迷信”と“経験”のあいだにこそ、後の知識や知恵が芽生えていったのだと思います。
人類の医療の歩みとは、試行錯誤とちょっとした勘違いが織りなす、壮大なドタバタ劇でもあっとも考えられますね。
分断された時代に浮かぶ「整体的視点」
中世は、「触れること」「整えること」が大きく語られにくかった時代でもあります。しかし、その背景にある「身体を全体としてとらえる視点」や「つながりを意識する感覚」は、地域ごとの文化・宗教・医療観の中に静かに受け継がれていました。
現代の整体が「手技」として技術化されていく以前の段階で、すでにその芽は、医療の傍らに寄り添うように存在していたのです。
整体は「古くて新しい」。そう言えるのは、こうした断絶と継承の歴史を背景にしているからかもしれません。
※ 本記事は歴史的な資料・文献をもとに構成されていますが、一部に筆者の解釈や仮説が含まれます。医療行為の効果を示すものではありません。
参考文献:
『身体と医療の歴史』ジャン=ピエール・ヴェルナン編
『中世の身体観』キャロライン・バイナム
『イスラーム医学の光』吉田敬一
『東洋医学の思想』浅川要
『日本鍼灸の源流』渡辺幸三
『医心方にみる日本古代医学』石川秀樹

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