自分で選んだ感覚を取り戻す――合理性に流されない生き方
- タナカユウジ

- 9月19日
- 読了時間: 3分
「正しいはずの選択をしているのに、なぜか心が満たされない」――そんな経験はありませんか?
本記事では心理学や哲学の視点を交え、合理的な“正しさ”に頼ることの限界と、自分で選んだ感覚がもたらす豊かさについて考えていきます。
正しさがくれる安心と、その副作用
「正しい選択」には確かに力があります。
学校では模範解答を選ぶことで評価を得られる。
会社では効率や成果を重視すれば評価につながる。
健康管理では専門家の推奨を守れば安全に近づく。
このように「正しさ」に従うと失敗が減り、安心を得やすいのです。
ただし、その一方で――
自分の意思を感じにくくなる:社会やアルゴリズムが示した選択肢をなぞるだけになる。
達成感が短命になる:結果が良くても「自分で決めた」という痕跡が薄いと、満足はすぐに消えてしまう。
挑戦や遊びが減る:正解にこだわることで、寄り道や試行錯誤の余白が削られる。
つまり「正しさ」ばかりを追うと、人生の手応えや楽しみが減ってしまうのです。
自分で選んだ感覚がもたらす充足感
一方で、人はしばしば“非効率”をあえて選びます。
旅行中、ガイドブックにない路地裏の喫茶店に入ってみる。
ネットショップでおすすめ商品ではなく、自分で探して見つけた一品を選ぶ。
敢えて遠回りの散歩コースを選んでみる。
これらは必ずしも効率的ではありませんが、「自分で決めた」という感覚があるため、強い充足感をもたらします。
心理学でも「自己決定感」が幸福感やモチベーションを高める要因として知られています。
合理性に多少逆らったとしても、そこにこそ“生きている実感”が宿るのです。
文学と哲学から学べること
ドストエフスキー『罪と罰』
ロシア文学の代表作『罪と罰』は、貧しい青年ラスコーリニコフが「社会的に無価値な人物を排除するのは合理的に正しい」という考えに従い、老女に手をかけてしまうところから始まります。
しかし、その“正しさ”に従った行動は、彼を罪悪感と孤立、そして精神の崩壊へと追い込みました。
理屈としての正しさと、心が納得する選択は別物である――この作品はそのことを鮮烈に描き出しています。
セネカ『人生の短さについて』
古代ローマの哲人セネカは「人生は短いのではなく、多くの人が無駄に浪費しているのだ」と説きました。
他人の評価や世間の“正解”に従うほど、自分の時間を明け渡してしまう。
逆に、今日の時間の一部でも「自分で選んだ」使い方をすれば、短いと感じていた人生が豊かさを取り戻すのです。
日常でできる小さな実践
1. 食事や買い物で直感を選ぶ
健康に良いから、流行っているから、ではなく、「今日はこれを食べたい」「これが気になる」という感覚を一度尊重してみましょう。
選んだ理由がシンプルでも、「自分で決めた」という痕跡が満足につながります。
2. 予定に「心が喜ぶこと」を先に入れる
手帳やカレンダーに予定を入れるとき、仕事や義務より先に「やりたいこと」を一つだけ書き込みましょう。
小さな寄り道でも構いません。優先順位を逆転させるだけで、自分の時間の感覚が変わります。
3. 夜に「今日、自分で選んだこと」を記録する
寝る前に一日の中で「これは自分で選んだ」と思える行動を一つ書き出します。
内容はささやかなことで十分。書き残すことで、自分の選択が確かに存在していたと確認でき、自己肯定感も高まります。
まとめ
「正しさ」に従うことは安心をもたらします。けれど、それだけでは心が置き去りになってしまうこともあります。
正解に流されるだけではなく、自分の選択を意識して積み重ねることが、限られた時間を豊かにする第一歩になります。
今日、あなたはどんな“小さな選択”を自分でしてみますか?




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