医療と整体の歴史シリーズ 第1回:癒しの原点をさかのぼる〜祈りと呪術から始まった医療〜
- タナカユウジ
- 7月26日
- 読了時間: 5分
更新日:3 日前
整体のことを知ろうとするとき、「整体って医療なの?」「治すってどういうこと?」という素朴な疑問が浮かびます。(コチラのブログに詳しく書きました)
今回から数回にわたって、医療の歴史や身体観の変遷をたどりながら、その中で整体という手法がどんな位置にあるのか、一緒に深く掘り下げて考えてみたいと思います。
第1回となる今回は、医学や整体の“始まり”について、人類が最初に「病」と向き合った頃までさかのぼってみましょう。
祈りと呪術から始まった「医療」
人類が最初に「病」をどう捉えたか。それは“神の怒り”や“悪霊の仕業”と考えられていました。
たとえば、紀元前3000年ごろの古代メソポタミアでは、病気は神々の罰とされ、「診察」「治療」「予防」がすでに区別されていた一方で、悪霊を祓うための呪術やまじないが実践されていました。
同時期の古代エジプトでも、病は霊的な原因によるとされ、神官が薬草と祈りを組み合わせて“治療”にあたっていました。
医学と宗教の区別がなく、死者のミイラ作りのために発展した解剖知識なども、のちの西洋医学に影響を与えていきます。
アジアやアフリカの部族社会では、自然界の霊的存在と人間とのバランスが崩れることで病が生まれると考えられ、シャーマン(霊媒)によるトランス状態での儀式や歌、踊りによって“調整”が試みられました。
現代から見ると、動物の骨を振ったり、火を焚いて呪文を唱えたり、血を抜いて病を追い出したりと、「とんでも療法」のように思えるものも多く存在しました。
しかしその根底には、
「病になった人に寄り添い、なんとか苦しみをやわらげたい」
という、人間としての普遍的な願いがありました。
ちなみに日本では、縄文時代(紀元前13000年〜紀元前400年頃)から呪術的な医療やまじない、薬草や石による処置、歯の抜歯の痕跡などが発見されており、すでに身体と自然、霊的な存在との関係が深く意識されていたことがわかっています。
「手を当てる」という原初の行為
“手当て”という言葉の通り、誰かが苦しんでいるとき、まず無意識に行うのが「その人に触れる」ことです。
古代の癒しの多くは、単に祈るだけでなく、手で撫でる、押す、温めるといった触れる行為と、語りや儀式、歌などを伴うものでした。
現代医学の「根拠に基づいた治療(EBM)」とは異なりますが、苦痛をやわらげ、安心感をもたらすという意味での“治療”は、すでにこの時代に始まっていたとも言えます。
近年の科学的研究では、人に触れることで分泌されるホルモン「オキシトシン」が、不安を軽減し、免疫や消化器系の働きを調整する効果があるとされています。
つまり、触れる行為は生理学的にも意味があると証明されつつあるのです。
なお、“手当て”という言葉には西洋でも通じる概念があります。
たとえば「カイロプラクティック」の“カイロ(chiro)”はギリシャ語で「手」を意味し、“プラクティック”(practic)は「技術」や「技法」。
つまり、カイロプラクティックとは「手の技術」による調整を意味する言葉です。
整体という言葉がまだ存在していなかった時代から、身体と心に働きかける“手”の技法は、人間の営みの中にずっと存在していたのです。
科学が生まれる以前の「治す」
医学が科学として成立するのは、さらに時代が進んでからのことです。
たとえば紀元前5世紀の古代ギリシャでは、ヒポクラテスが「医術は自然の理に従うべき」として、呪術とは距離を置いた治療体系を築きました。
彼の四体液説(血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁のバランスで健康が決まる)は、いま見ると非科学的ではありますが、「身体の全体バランス」という考えは、現代の統合医療にも通じるものがあります。
同じ頃、インドではアーユルヴェーダ(生命の科学)が体系化され、ドーシャ(体質)やプラーナ(気)といった概念をもとに、個人の体質に応じた養生や手技療法が実践されていました。
中国では紀元前200年ごろに成立したとされる『黄帝内経』において、陰陽五行論に基づいた身体観が示され、経絡・気血・五臓六腑といった理論が整理されました。
これらはのちの漢方医学や鍼灸、推拿(手技)などの土台となり、整体との親和性が非常に高い分野です。
こうした古代医学は、現代科学から見れば「非科学的」「経験則に頼ったもの」とされることもありますが、
身体を部分でなく全体として捉える
自然との調和やリズムを重視する
心身一如(身体と心は切り離せない)という考え方
といった思想的な側面では、現代の補完代替医療(CAM)や予防医学とも共鳴しています。
つまり、“非科学的”と“現代的”は単純な断絶ではなく、そこには連続性と再評価の余地があるのです。
整体はどこから始まるのか?
今回見てきたように、人間の「癒したい」という営みは、呪術・祈祷から始まり、身体に触れることへと移り、やがて医術や科学へと進化していきました。
整体という言葉が日本に登場するのは明治以降ですが、その根底にある「身体を整える」「触れて回復を促す」という発想は、太古の医療文化と地続きにあります。
整体は現代医療とは異なる立場にありながらも、身体に直接働きかけ、全体を見て、自然な回復力を尊重するという意味で、実は非常に人間的な医療の原点に近いのかもしれません。
次回予告
次回は、東西の古代医学(ギリシャ・中国・インド)における「身体観」と「治す」という思想の違いを掘り下げていきます。
整体や東洋医学の背景にある「全体を見る」という発想が、どのように育まれてきたのか。
知的にも、感覚的にも深くつながる部分を、じっくり見ていきましょう。
参考・引用資料(抜粋)
小田晋監修『医学の歴史』中公新書、2005年
石川純一『医療人類学入門』医学書院、2013年
中島孝『日本医療の歴史』吉川弘文館、2016年
World Health Organization (WHO). Traditional Medicine Strategy 2014–2023
『黄帝内経』日本語訳(東洋学術出版社)
Hippocrates. The Corpus Hippocraticum, translated selections
林真一郎『植物と人間の文化誌』八坂書房、2012年
厚生労働省「統合医療(いわゆる『補完代替医療』)に係る情報発信等推進事業」(ギリシャ・中国・インド)における「身体観」と「治す」という思想の違いを掘り下げていきます。
※本記事は医療的な効果を保証するものではなく、あくまで歴史的・文化的視点から整体の位置づけを考察する目的で執筆しています。また、紹介する概念や理論は現代医学の代替を意図するものではありません。厚生労働省のガイドライン等を遵守し、断定的な表現は避けております。

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