中国に行ったことをふと思い出して
- タナカユウジ

- 5月24日
- 読了時間: 8分

もう5、6年前のことになります。まだコロナウイルスが広まる前、あるご縁で中国・吉林省延辺朝鮮族自治州延吉市延吉という街を訪れました。
当時の私は、勤めていた会社の整体院で院長を務めながら、ときどき整体学校でも講師として教えていました。
その頃、会社が中国の治療院グループと業務提携を検討していて、現地にご挨拶にうかがうメンバーの一人として同行することになったんです。
「整体の技術や考え方は、国が変わるとどう違うんだろう?」そんな好奇心はありましたが、正直なところ――ちょっとした“海外出張”気分でもありました。
旅の記憶はもう少しあいまいになってしまいましたが、いま改めて思い返すと、身体や治療というものを見つめ直すきっかけにもなった、大事な体験だった気がしています。
たまに、「あのとき中国に行ってなかったら、今の私はどうなっていただろう?」と考えることがあります。
整体師としての価値観が、あの旅で少し変わった気がするのです。
接待と冷麺と、コーヒーへの渇望
延吉という街は、晴れている朝には遠くの方に北朝鮮が見えるとも言われる場所です。
空気は冷たく澄んでいて、日本とはまた違う“冬の輪郭”を感じました。
現地では、提携先の方々がとても丁寧にもてなしてくれました。
本場の高級レストランにも何度か連れて行っていただき、毎晩のようにごちそうが並ぶのですが……正直なところ、あまり「おいしい!」とは感じられませんでした。
特に印象に残っているのが「延吉冷麺」。
「世界一の冷麺」とも言われているらしいのですが、もともと冷麺があまり得意ではない私には、やはり合わなかったようです。
食文化の違いというのは、想像以上に身体にダイレクトに響きます。
「異文化を食べる」というのは、頭よりも、まず身体が反応するものなんだと知りました。
宿泊していたのは、街で一番高級だというホテルでした。
朝食はバイキング形式で、まだ自分に合いそうなものを選べるぶん、だいぶ助かりました。でも、どうしても我慢できなかったのが――コーヒー。
コーヒーらしき飲み物はあったのですが、どうしても“コーヒーっぽい何か”という感じで、逆に本物が恋しくなってしまって。
そんなとき、現地のスタッフがスターバックスに連れて行ってくれて、普通のコーヒーを飲んだ瞬間の安堵感といったら……。忘れられません。
中国の治療院で見た、結果を出すということ
滞在中、現地の治療院もいくつか見学させていただきました。
その中で印象的だったのは、ぎっくり腰で来院されたという方への施術の場面です。
いわゆる「針治療+矯正」をその場で行っていて、クライアントも堂々とそれに応じていました。中国では、「治療に納得するまで帰らない」のが普通なのだと聞きます。
施術者にはその場で“結果を出す”ことが求められ、見ていてピリッとした緊張感が伝わってきました。
案内してくれた院長先生は、中医の大学を卒業され、さらにドイツで「シュロス法(Schroth Method)」を学ばれた方。
東洋医学の土台を持ちながらも、西洋的な検査法や解剖学的なアプローチも取り入れていて、その在り方に私は強く惹かれました。
以前、フランスで理学療法(キネジセラピー)やオステオパシーの現場を少し見学する機会があったのですが、そこにどこか共通する空気を感じたのです。
「医学は違っても、身体はひとつ」──そんな感覚が自然と湧いてきました。
フロアに立ちこめる煙と、ずらりと並ぶベッド
大きな中医病院も見学させてもらいました。
そこではフロアごとに「針」「灸」「漢方」「手技」と分かれていて、それぞれに専門の治療師たちが働いています。
まず「針」のフロアでは、顔や身体のいたるところに針が刺さった患者さんたちがずらりと並んだベッドで横になっていました。
「灸」のフロアに足を踏み入れると、あたり一面に煙が立ちこめていて、視界が少し曇るほど。
そして「手技」のフロアでは、複数の施術者が一斉に患者さんにアプローチしている様子が見られました。
とにかく、スケールが大きい。日本の治療院とはまるで別世界です。
一度にこれだけ多くの人が治療を受けるということ、それが“当たり前の光景”として存在しているということに、強いカルチャーショックを受けました。
「治療」という行為が、ここでは“文化”として根づいている。そんな印象が残っています。
満州国の皇帝に仕えていた中医の流れ
滞在中、とても印象的な出会いがありました。
現地の方々が「大先生」と呼んでいた、年配の中医の先生と食事をご一緒する機会をいただいたのです。
なんでもその方は、満州国時代、皇帝だった溥儀に仕えていた中医の弟子筋にあたるとのことで、同行していた治療家の方々も、その流れを汲む“お弟子さん”にあたるそうでした。
食事の席で、私の同僚がこんなことを話しました。
「日本では西洋医学が中心ですが、いつか東洋と西洋の良いところが融合できたら素晴らしいですね」と。
その言葉に、大先生は少し間を置いてから、静かに、しかしはっきりとこう言いました。
「それは無理だ」
理由はこうでした。
「東洋医学と西洋医学は、根本の考え方が違う。混ぜることはできない」
私は東洋医学についてはまだ初歩をかじった程度しか知らなかったので、その言葉にはかなりの衝撃を受けました。
それと同時に、強く、一本筋の通った信念のようなものも感じたのを覚えています。
確かな年齢は聞いていなかったのですが、80歳くらいだと聞いていたのが信じられないほど若々しく見える方でした。
別れ際に握手をしていただいたとき、その手が驚くほど温かかったことを、今でもはっきりと覚えています。
街にあふれる若者と、働き方の価値観
延吉という街を歩いていて、まず感じたのは――若者の多さでした。
日本よりも平均年齢が若いのか、とにかく街全体に活気があって、道を行く人たちがみんな、生き生きとして見えたのが印象的でした。
現地出身の方が案内役をしてくれて、街のあちこちを一緒に回りました。
そのエネルギーと明るさにも驚かされました。
話を聞くと、「若いうちにシャカリキに働いて、早くリタイアする」という価値観があるようで、それが働き方にも表れているのかもしれません。
さすが年金の受給資格が日本よりも早く得られる国だけはあるなと、妙に納得してしまいました。
また、現地では漢方が生活に根づいていて、治療というより“日常の延長線”にある感覚。
それがまた、身体の整え方に対するスタンスの違いを感じさせました。
ただひとつ困ったのは、英語がまったく通じなかったこと。
私の英語力は中学生レベルですが、デパートの店員さんですら全く通じず、街中の看板は中国語(漢字)とハングルばかり。
大都市に行けば違うのかもしれませんが。
でも「アルファベットが全く無い」という世界は新鮮でした。
フランスにいた時とはまた違った世界です。
言葉が分からないというだけで、こんなにも“世界が違って見える”のかと、感覚ごとひっくり返されるような気がしました。
まるで旅人みたいだったけれど、確かに学んだこと
現地での視察の合間に、私が簡単な施術のデモンストレーションをすることになりました。せっかくなので、軽く身体に触れて整えてみると、なぜかとても気に入っていただけたようで、「中国に残って一緒にやらないか」とまで言われました。
特に印象的だったのが、グループの中にいた弁護士の方が、ずっと笑顔で「タナカ、タナカ!いつまた中国に来る?」と連呼してくれたこと。
嬉しさと気恥ずかしさが入り混じる、不思議な時間でした。
現地では「日本」は一種のブランドのようで、「日式(日本式)」と名前がつくだけで信頼につながるという話も聞きました。
それは同時に、「自分自身」というより「日本人であること」が評価されたような、くすぐったさもありました。
10日ほどの滞在で、仕事というよりは、気づけば旅人のように過ごしていた自分がいました。
ただ、振り返ると、その中で出会った風景、人の声、身体で感じたことの一つひとつが、今の私の中に根を張っているような気がしています。
たとえば――
「その場で結果を出すことが当たり前の治療の現場」
「信念をまっすぐに語る老先生の言葉」
「アルファベットがどこにもない看板の並ぶ街」
どれもが、“外の世界”に触れることでしか得られない感覚でした。
「文化が違えば、身体の“感じ方”も変わる」そんな当たり前のようでいて、普段はあまり意識しないことを、肌で実感した日々でした。
結局、その後すぐにパンデミックが起き、さらに私自身もケガをしてしまったこともあり、再び中国を訪れることはありませんでした。
でも、もし少し事情が違っていたら、私はまた中国に行って整体の仕事を続けていたかもしれません。
そう思うと、今こうして中野区で「みどり整体院」を営んでいるという日常が、ほんの少しの偶然や選択の積み重ねによってできているんだなと、改めて不思議な気持ちになります。
皆さんは、文化や土地が変わることで“身体の感じ方”が変わる、という経験をされたことはありますか?
そんな視点から、日々の身体の声に耳を傾けてみるのも、面白いかもしれません。



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