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整体という“医療ではない道”の意味を、あらためて考える

  • 執筆者の写真: タナカユウジ
    タナカユウジ
  • 2 分前
  • 読了時間: 6分

医療ではないけれど、人を支えるもう一つの知恵


「整体って医療じゃないんですよね?」

これは、よく聞かれる質問です。実際、整体は日本の法律上、医療行為ではありません。私たち整体師は、診断や治療を行うことはできませんし、「治す」といった表現も法律上は使うことができません。

それでも、整体という手法は長年、多くの人に支持され、身体の支えとなってきました。なぜ、医療ではないにもかかわらず、整体には“人を支える力”があるのでしょうか?

今回は、整体という存在の意味を、あらためて深く掘り下げてみたいと思います。


西洋医学と東洋医学、その“外側”にある整体


西洋医学は「病気の原因を特定し、それに対処する」ことを目的としています。

CTやMRIなどの画像診断、薬物治療や手術などはその典型です。

一方、東洋医学は「身体全体のバランスを整えることで、回復を促す」考え方に立っています。

経絡や気の流れ、五臓六腑の調和など、独自の理論体系があります。


整体は、どちらかというと東洋的な視点に近いかもしれません。

ですが、厳密にはどちらにも属しません。

国家資格制度に基づいた体系を持たず、民間の技術として独自に発展してきた背景があります。

一般的に整体では、「構造(骨格や筋肉などのバランス)」や「感覚(動きやすさ、違和感、呼吸の通りなど)」に注目しながら、その人自身の“回復力”を引き出すことを目指すアプローチが多く見られます。

ただし、その方法や考え方は施術者によってさまざまであり、一律ではありません。


なぜ整体は医療として認められないのか?


日本では、医師、柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師など、国家資格を持つ人のみが「医療行為」を行うことができます。

整体師はこれに該当しないため、法律的には医療行為ができず、広告の表現にも厳しい制限があります。

これは、「守られていない」というより、「役割が違う」と言った方が正確かもしれません。


医療は「病気の診断と治療」を担う専門分野です。

一方で、整体は、そうした医療的ケアを必要とする状態に至る“もっと前の段階”、つまり、生活の中での身体のゆらぎや、日常的な疲労・緊張・姿勢の偏りといったものにアプローチする方法として発展してきました。

たとえば「なんとなく調子が悪い」「深く眠れない」「姿勢が崩れている気がする」「呼吸が浅い」――そうした訴えは、検査数値や画像には現れにくいものです。

整体は、こうした“未病”や“ゆらぎ”に対し、構造や感覚のバランスを観察し、その方にとって無理のないかたちで整えるサポートを行います。


「病気を診る」のではなく、「その人の身体の今の状態に丁寧に目を向ける」こと。

このような姿勢を大切にする施術者も多く、そうした在り方が、人を支えるもう一つの知恵として整体を位置づけているのかもしれません。


海外ではどうか? カイロプラクティックやオステオパシーとの違い


アメリカでは、カイロプラクティックやオステオパシーが医療系国家資格として認められ、大学教育や国家試験の制度も整備されています。

医師のように診断や処方ができる国もあります。


私が2年間過ごしたフランスでは、「ostéopathie(オステオパシー)」は整体に似たケアとして広く知られていました。

あるとき、現地のostéopathe(オステオパット:オステオパシー施術者)の治療院を訪れ、先生とお話をさせていただく機会がありました。

日本で私が行っている整体のことをお話すると、とても興味深そうに耳を傾けてくださいました。

こうした代替医療への関心や、異なるケアに対して開かれた姿勢は、文化的な“土壌の深さ”のようなものを感じさせました。


フランスでのオステオパシーは医師とは別の独立した資格制度があり、国家に認可された専門教育を受けたうえで資格を取得する仕組みが整っています。

公的医療保険は適用されませんが、多くの民間保険(mutuelle)では補助を受けられるケースもあり 、生活に取り入れている方も多くいます。

筋骨格の調整や内臓へのアプローチなどを通じて、身体のバランスを整える施術が行われており、多くの家庭が定期的にオステオパスに通っている印象がありました。


一方で、リラクゼーションを中心にした施術や、クラニオセイクラル(craniosacré・クラニオサクレ:頭蓋仙骨療法)と呼ばれる繊細な手技療法、さらにReiki(レイキ:日本発祥のエネルギーワーク)なども、"soins énergétiques(ソワン・エネルジェティック:エネルギーケア)"として一定の関心層のあいだで広く親しまれています。


こうした施術は、街の自然療法系のサロンやヨガスタジオの中で見かけることも多く、医療とは異なる“感覚やバランスへのアプローチ”として、生活に根づいていると感じました。

「医療ではないけれど身体にアプローチする知恵」がごく自然に生活の中に根づいていると感じました。


こうした多様なケアの在り方は、日本の整体とも通じる部分があります。

代替医療や予防医療という考え方が、フランスでは生活の中に自然に根づいており、日本よりも理解や受け入れが進んでいると感じました。

世界を見渡しても、医療の枠に収まらない身体との向き合い方が、さまざまな形で存在しているのです。



整体の本質は、「身体との対話」


これはあくまで私の考えですが、整体ではただ骨格を整えるだけではなく、呼吸の深さ、緊張の強さ、動かしやすさといった「感覚」を大切にします。

施術を受けた方が、 「呼吸がしやすくなった気がする」 「立ちやすい」 「なんだか落ち着く」 といった反応をされることがあります。

これは、身体が“本来のバランス”に戻ろうとしている兆しかもしれません。

整体は、“治す”のではなく、“戻す”。

 身体と感覚のずれに気づき、それを少しずつ調整していく過程そのものが、整体の本質なのです。


おわりに:整体という道を選んだ理由


整体一筋で20年以上やってきましたが、そのなかで印象的なのは、整形外科や整骨院といった医療・保険制度の中にある治療に疑問を感じたり、そこに抵抗感を抱いたうえで、あえて整体を選ばれる方が少なくないということです。

「薬や注射に頼りたくない」「検査では異常がないけれどつらい」といった声も多く、そうした方々にとって整体は、自分の感覚に寄り添える数少ない選択肢のひとつになっているように感じます。


私がこの道を選んだのは、医療にできることと、整体にできることは“違っていて、どちらも必要だ”と感じたからです。

整体は、急性期の対応はできません。

でも、慢性的な疲れ、緊張、姿勢の崩れ、自律神経のゆらぎなど、「病気とまではいえないけれど、つらい」状態には、じんわりと寄り添ってくれる存在です。


そして何よりも、

“自分の身体と、丁寧に向き合っていく時間”

これを取り戻すきっかけになれるのが、整体だと信じています。



※本記事は、日本の法制度における整体の位置づけを説明する目的で執筆されています。内容は筆者の体験と一般的な知見に基づいており、医学的診断・治療を代替するものではありません。





 
 
 

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