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一つに心を置くとき、身体はゆるむ ――集中できない時代と「一行三昧」のおはなし――

  • 執筆者の写真: タナカユウジ
    タナカユウジ
  • 29 分前
  • 読了時間: 9分

日々の生活のなかで、「気づくと心が落ち着かない」「頭がずっと動き続けている」そんな感覚を抱える方が増えています。

やることが極端に多いわけではないのに、気持ちが散らかってしまう。身体もそわそわして、呼吸が浅くなり、肩まわりや頭皮がこわばりやすくなるように感じる。

みどり整体院でも、こうしたお話を伺うことが少なくありません。


現代は、スマホやパソコン、さまざまな通知や情報の流れが途切れず、「同時にいくつものことを意識させられる」時代です。気づかないうちに注意が分散し、心と身体の軸が、少しずつ外側へ引っ張られていきます。

そんなときに役立つ考え方として、昔から大切にされてきた「一つのことに心を置く」という姿勢があります。

禅の世界では、これを一行三昧(いちぎょうざんまい)と呼ぶことがあります。

難しい修行の話というよりも、今の私たちの暮らしにも取り入れやすい「集中の整え方」のひとつとして、ここではご紹介したいと思います。


一つの行為に心を置くと、呼吸が深まり、身体のこわばりもふっとゆるむことがあります。

その小さな変化が、気持ちの落ち着きや姿勢の安定にも少しずつつながっていくかもしれません。

今回は、現代の忙しさに振り回されやすい私たちが、「一つに心を置く感覚」をどのように日常へ取り入れられるのか。

そして、それがなぜ身体の安定にも役立つと考えられているのかを、整体の視点からやさしくお伝えしていきます。


現代は「注意を奪われ続ける」時代

少し振り返ってみると、一日のあいだに私たちの注意は、かなりの回数で引き裂かれています。

  • スマホの通知音に目を向ける

  • メッセージの返信を考える

  • 動画やSNSを少しだけ見るつもりが、いつの間にか時間が過ぎる

  • 作業をしながら、別のことも考えてしまう


このように、「今やっていること」と「頭の中で考えていること」が別々の方向へ引っぱられてしまう場面がとても増えました。

脳の仕組みから考えても、人は同時にたくさんのことへ注意を向け続けるのが得意ではないと言われています。

短い時間であれば、あれこれと切り替えながらこなせることもありますが、それが長く続くと、

  • 集中しづらい

  • 物事に入り込みにくい

  • 落ち着いて考える余裕がない

といった感覚につながりやすくなります。


注意が散らかると、身体も落ち着きにくくなる

注意が外側に向かい続けるとき、身体にもそれに合わせた反応が現れることがあります。

例えば、

  • 画面をのぞき込む姿勢が続き、首が前に出る

  • 呼吸が浅くなり、胸やみぞおちまわりがこわばる

  • 歯を食いしばったり、目のまわりに力が入りやすくなる


こうした状態が積み重なると、「休んでいるつもりなのに、うまく休めていない」、そんな感覚につながることもあります。

ここで大事なのは、 現代の暮らしそのものが「集中しづらい環境」になっているという事実です。

決して「自分の集中力が足りない」からではなく、注意を奪うものが、単純に増えすぎているのです。

ですから、まず責めるべき相手は、自分自身ではありません。

そのうえで、この環境のなかでも、心と身体の軸を少しずつ取り戻していくための工夫として、「一行三昧」の考え方を使ってみることができます。


一行三昧とは「一つの行為に心を置く」こと

一行三昧という言葉は、もともと仏教や禅の修行の中で語られてきたものです。

難しい教義としてではなく、ここでは次のようにシンプルに捉えてみます。

今している一つの行為に、できるだけていねいに心を置くこと

例えば、

  • 歩いているときは「足の裏が地面に触れる感覚」に心を置く

  • お茶を飲むときは「口の中の温度や香り」に心を置く

  • 呼吸をするときは「胸やお腹のふくらみ」に心を置く


このように、一度にたくさんのことを考えたり処理しようとするのではなく、「今、目の前にある一つの行為」に意識を戻す練習です。


「集中しよう」と力む必要はない

ここで大事なのは、

  • きれいに集中しよう

  • 雑念を完全に消そう

とがんばることではありません。

むしろ、気づいたときに、そっと一つの行為に心を戻す

このくらいの、やわらかい姿勢で取り組むほうが、心と身体には合っているように感じます。

意識があちこちへ飛んでしまうのは、人としてごく自然な反応です。

そのたびに自分を責めるのではなく「気づけた自分」を一度認めてから、そっと今の行為に意識を戻す。

これをくり返すこと自体が、心の筋トレのような役割を果たしてくれます。


ちなみに私は、一日に2回ほど短いマインドフルネス瞑想の時間を取っています。「今、目の前」から離れて過去や未来のことが浮かんだときには、それを否定せず「そう考えていたな」と気づき、そっと“今”に戻る——そんな自分を、少し離れた位置から見守るようなイメージで行っています。個人的には、この小さな積み重ねが、心の落ち着きや呼吸の深まりに役立っているように感じています。


一行三昧を、日常の中で試してみる

ここからは、一行三昧の考え方を、日々の暮らしの中で試しやすい形にした例をご紹介します。

難しいことを増やすのではなく、今すでに行っている動作に、すこしだけ意識の向け方を変えてみる、というイメージです。


朝一杯の白湯に、心を置いてみる

朝起きてから、白湯やお茶を飲む習慣がある方も多いと思います。

その一杯を、

  • カップの温度

  • 口に含んだときの温かさ

  • のどを通っていく感覚

だけに、数十秒だけ心を置いてみます。

頭の中に別の考えが浮かんできたら、「あ、考えごとをしていたな」と気づき、またカップの温度やのどの感覚に意識を戻します。

これだけでも、一日の始まりに「今ここに戻る練習」を一度しておく

ことになります。

短い時間ではありますが、

  • 呼吸が少し落ち着く

  • 身体のこわばりに気づきやすくなる

といった手ごたえを感じる方もいらっしゃいます。


歩いているときは「足の裏」だけを感じてみる

外を歩くときや、駅のホームを移動するときなど、歩行の時間は、一日の中で意外と多く含まれています。

この時間を、足の裏の感覚にだけ心を置く時間として使ってみます。

  • かかとが地面につく

  • 土踏まずのあたりに体重が移動する

  • つま先で軽く地面を押す

こうした動きを、そのまま感じてみます。

その間だけは、

  • 仕事の段取り

  • 過去の反省

  • これからの心配

などから、いったん離れてみます。

もちろん、考えごとが浮かんでくることもありますが、「今は足の裏の時間だった」と思い出して、戻ってくれば十分

です。

歩き終わったとき、 少し呼吸が整っていたり、 姿勢が楽になっているように感じられたら、 それも一つの変化かもしれません。


頭を使いすぎたと感じたときの、一分間呼吸リセット

一日の中で、「今日は特に頭を使ったな」と感じる時間帯があるかもしれません。

そんなときは、一分間だけ、呼吸に心を置く時間をとってみます。

やり方は、とてもシンプルです。

  1. 椅子に深く腰かけ、背もたれにもたれすぎない程度に座る

  2. みぞおちから下が、少し楽になる位置を探す

  3. 鼻からゆっくり吸って、口か鼻から自然に吐く

  4. 胸やお腹が、ふくらんだりしぼんだりする様子だけを感じる

このときも、

  • 呼吸を完璧にしよう

  • 雑念をゼロにしよう

とがんばる必要はありません。

何度意識がそれてもかまいませんので、気づいたときに、また呼吸の動きへと戻ってくる。

これを数十秒から一分ほど続けるだけでも、頭の中のスピードが、少し緩やかになるように感じる方もいらっしゃいます。


姿勢と呼吸も「一つに心を置く」ことで変わりやすくなる

一行三昧の考え方は、心の持ち方だけでなく、姿勢や呼吸にも関わってきます。

スマホを見るときの「一点」を決める

スマホを操作するとき、無意識のうちに顔が画面に近づき、首が前へ出る姿勢になりやすくなります。

このとき、

  • 画面の内容

  • 通知

  • 他人の反応

など、意識の行き先も増えていきます。

ここに、「身体の一か所」をそっと加えるという工夫をしてみます。

例えば、

  • 片方のひじを机やひざに軽く乗せておき、「ひじの重さ」を感じておく

  • 足の裏が床についている感覚を、うっすらと意識しておく

これだけでも、身体のどこか一つに心を置くきっかけになります。


「やることリスト」より「やらない時間」を少しだけ

一日の中で、

  • 〇〇しながら、別のことも進める

という場面はたくさんあります。

もちろん、それが必要なときもありますが、一日に数分だけでも「一つしかしない時間」を用意しておくことは、心と身体の回復に役立つ場合があります。

例えば、

  • 食事の最初の数口だけは、味わうことに心を置いてみる

  • お風呂で、最初の一分だけは、湯船の温度と呼吸だけを感じてみる

こうした「一つだけの時間」を、無理のない範囲で生活に混ぜていきます。

完璧にできるかどうかよりも、「一つに心を置く練習を、今日も一度だけやってみた」

という事実が、少しずつ心と身体の土台を育ててくれます。


うまくできなくても大丈夫です

一行三昧のような考え方に触れると、

  • 雑念だらけで、自分には向いていないのでは

  • 集中力がないから、やっても意味がないのでは

と感じてしまう方もいらっしゃいます。

ですが、意識がそれることそのものが、人として自然な働きでもあります。

むしろ大事なのは、

  • それに気づけること

  • 気づいたときに、そっと戻ってみようとすること

この二つです。

うまくできる日もあれば、なかなか落ち着かない日もあります。

それでも、「整っている自分」ではなく、「整えようとしている自分」をそのまま認めてあげること

が、長い目で見たときの安心につながっていきます。


さいごに——一つに心を置く習慣を、暮らしの中へ

現代の私たちは、

  • たくさんの情報

  • 絶えず鳴る通知

  • 周りとの比較

といったものに、日々さらされています。

その中で、

  • 注意が散らかる

  • 心が落ち着きにくい

  • 身体がこわばりやすい

と感じるのは、とても自然なことだと思います。

だからこそ、一つの行為に、そっと心を置く時間を、少しずつ取り戻していくことが、これからますます大切になってくるのではないでしょうか。

白湯を飲む一瞬でも、歩いている数十秒でも、呼吸を感じる一分間でもかまいません。

心と身体のあいだに、一本のやわらかいラインが通るような感覚が、少しでも増えていったら、それだけで十分に意味のある取り組みだと、私は考えています。


中野区中央のみどり整体院では、こうした心と身体のつながりも大切にしながら、ゆっくりとお話を伺い、一人ひとりに合った整体を心がけています。

「最近、心も身体も落ち着かない気がする」「自分なりの整え方を見つけたい」

そんな思いが少しでもあれば、お話をしに来ていただくだけでも大丈夫です。

一緒に、暮らしの中で続けていける「一つに心を置く時間」を探していきましょう。


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