医療と整体の歴史シリーズ 第3回:古代東洋医学の体系化と広がり 〜中国・朝鮮・日本、そして同時代の西洋との対比〜
- タナカユウジ

- 8月2日
- 読了時間: 5分
※当初は全5回の予定で進めていましたが、書いているうちに内容が膨らみ、シリーズは5回を超える見込みです。
▶︎ 第1回はこちら 👉 祈りと呪術から始まった医療(古代〜紀元前3000〜)
▶︎ 第2回はこちら 👉 古代文明に息づく“手当て”の知恵(エジプト・インド・ギリシャ)
今回はその第3回として、紀元前3世紀〜紀元後2世紀ごろを中心に、中国医学がどのように思想を深めていったのかを、同時期の西洋世界の医学的動向とも比較しながら見ていきます。
病とは“流れの乱れ”——中国医学の核心思想
文明が進むにつれ、病に対する人類の視点は「神の怒り」から「自然との調和」へと変化していきました。
今回のテーマは、東洋医学の基盤ともいえる中国医学の思想と、それが朝鮮半島や日本へとどのように伝わり、広がっていったかをたどります。
「気」と「陰陽五行」——身体は自然の縮図
中国医学の特徴は、「気(き)」という目に見えないエネルギーの存在を前提としている点にあります。
気は宇宙の根源的な力であり、人間の身体にも流れ、生命活動を支えているとされます。
また、万物は陰と陽という相反するエネルギーのバランスによって成り立っており、それが身体内部でも常に調和を保とうとしています。
さらに、「五行(ごぎょう)」という自然界の5つの要素(木・火・土・金・水)によって、内臓や感情、季節、方角などが体系的に分類される考え方も特徴的です。
これにより、身体の状態や不調は自然との関係性の中で理解されるようになりました。
経絡とツボの概念——目に見えない“流れ”の医療
中国医学では、気や血(けつ)が流れるルートを「経絡(けいらく)」と呼びます。
この経絡の上には「経穴(けいけつ)」、いわゆるツボが存在し、ここに鍼(はり)や灸(きゅう)、手技などを用いて刺激を与えることで、気の流れを調整し、身体全体のバランスを整えることが目指されます。
経絡をもっと身近な例でイメージするならば、「身体に張り巡らされた路線図」のようなものと言えるかもしれません。
たとえば、経絡は中央線や山手線のように身体を縦横に走る“路線”であり、ツボ(経穴)はその各駅にあたります。
それぞれの駅(ツボ)を適切に刺激することで、滞っていた気の流れを促し、身体全体のバランスを整えることができるのです。
この思想は、整体における「全体のつながり」や「流れを整える」という発想と非常に近く、現在の鍼灸や指圧、推拿(すいな)といった手技療法の源流にもなっています。
『黄帝内経』と体系化された東洋医学
紀元前2〜3世紀ごろに編纂されたとされる中国最古の医学書『黄帝内経(こうていだいけい)』には、陰陽五行に基づく身体論や病因論、
診察法(望聞問切)、治療原則などが網羅されており、現代の中医学の基礎となっています。
この書物では、身体を部分ではなく全体として捉える思想が強調され、自然界とのつながりや季節ごとの養生法、感情と内臓の関係など、多角的な視点での医療が展開されています。
同時代の西洋——観察と記録、制度化のはじまり
この時代の西洋世界では、医学はギリシャからローマへと引き継がれ、知の蓄積と制度化が進み始めていました。
紀元後2世紀に活躍した医師ガレノス(Galenus)は、ギリシャの医療理論をまとめ上げ、自身の経験に基づいた多数の解剖観察を著しました。
彼の体系はその後1,000年以上にわたりヨーロッパ医学の基盤となり、医学を「理論」と「体系」として確立する流れを作りました。
一方で、中国医学が“気”や“全体のバランス”を重視するのに対し、ガレノス以降の西洋医学は身体を部分ごとに分けて理解しようとする傾向が強くなっていきます。
観察と記録を積み重ねながらも、そこには“触れる”という行為の精神的・感覚的な側面はあまり見られませんでした。
こうした視点の違いは、やがて東洋と西洋の医学の方向性を大きく分けていくことになります。
ただし、西洋の医学は解剖学や観察に重きを置く一方で、中国医学のような「気」や「流れ」といった概念は見られません。
その違いは、やがて近代医学と東洋医学の方向性を大きく分けていくことになります。
朝鮮・日本への影響——仏教とともに伝わった医療思想
中国医学の思想は、紀元前後から朝鮮半島へ伝わり、そこから日本へも流入していきました。
日本では飛鳥・奈良時代に仏教とともに伝来し、仏僧たちが薬草や鍼灸、按摩などを用いて「治療」にあたったとされています。
奈良時代にはすでに鍼灸や漢方の知識が国家事業として整備され、江戸時代には“和方”と呼ばれる日本独自の漢方医学も生まれました。
また、民間では“手を当てる”“撫でる”“さする”といった素朴な手技療法が受け継がれていきました。
こうした中国医学の伝播と現地化の中で、日本独自の“手当て”文化が育まれていったのです。
整体と中国医学の共鳴点
現代の整体において、「気の巡り」や「経絡の流れ」を意識する施術は決して少なくありません。
解剖学や筋肉、骨格の知識に基づくアプローチと、中国医学の“目に見えないつながり”を重ねることで、より立体的に身体を捉えることが可能になります。
整体が単なるリラクゼーションではなく、身体の内側に働きかける“調整”であるとするならば、こうした中国医学の思想は、その背景として非常に深く関わっていると言えるでしょう。
次回予告:日本独自の“手当て”文化と整体の源流
次回は、日本列島において育まれてきた“手当て”の伝統に焦点を当てます。呪術・信仰・仏教医学・民間療法——それらがどのように重なり合い、現代の整体に通じる文化となっていったのかをひもといていきます。
※本記事は医療的な効果を保証するものではなく、あくまで歴史的・文化的視点から整体の位置づけを考察する目的で執筆しています。また、紹介する概念や理論は現代医学の代替を意図するものではありません。厚生労働省のガイドライン等を遵守し、断定的な表現は避けております。
参考・引用文献
『黄帝内経』日本語訳(東洋学術出版社)
小田晋監修『医学の歴史』中公新書、2005年
中島孝『日本医療の歴史』吉川弘文館、2016年
石川純一『医療人類学入門』医学書院、2013年
World Health Organization (WHO). Traditional Medicine Strategy 2014–2023
Galen. "On the Usefulness of the Parts of the Body"(翻訳版)




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