医療と整体の歴史シリーズ 第5回──科学と身体の再発見──ルネサンスから近代医療へ
- タナカユウジ
- 8月6日
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▶︎ 第1回はこちら 👉 祈りと呪術から始まった医療(古代〜紀元前3000〜)
▶︎ 第2回はこちら 👉 古代文明に息づく“手当て”の知恵(エジプト・インド・ギリシャ)
▶︎ 第3回はこちら 👉古代東洋医学の体系化と広がり 〜中国・朝鮮・日本、そして同時代の西洋との対比〜
▶︎ 第4回はこちら 👉中世の医療と身体のまなざし──断絶と継承のあいだで
西暦1200年から1800年にかけて、世界は大きく変動する時代を迎えます。
ヨーロッパでは中世の終焉とともにルネサンスが花開き、科学革命が始まり、医療の在り方も大きく変わっていきました。
これまで宗教の支配下にあった医療は、徐々に「観察」「解剖」「循環」といった視点を通じて科学的に再構築されていきます。
しかし一方で、民間には“触れること”“全体を見ること”を重んじる文化も生き続けていました。
日本でも鎌倉・室町・江戸と続くなかで、宗教や伝統医学、民間の知恵が入り混じり、独自の身体観と医療が育まれていきます。
今回は、解剖と循環の時代を背景に、西洋と日本の医療の変遷をたどりながら、現代の整体につながる視点を探ります。
ルネサンス──“見る医療”の誕生
視覚を通じて身体を理解しようとする流れが本格化したのが、ルネサンス期の医療です。
古代医学の再評価とともに、人体解剖が盛んに行われ、身体は神秘から科学の対象へと変わっていきました。
中世の終焉とともに、ヨーロッパでは古代ギリシャ・ローマの知識が再発見され、医療にも大きな変化が起こります。
ヴェサリウスの『人体の構造』は、それまでタブー視されていた人体解剖を科学的に描き、医学を「見る学問」へと変えていきました。
身体は“神の器”から、“構造をもつ物体”へと捉え直され、宗教的な解釈から解放されつつありました。
科学革命と“循環する身体”の発見
観察と実験が重視され、身体の機能が仕組みとして解明されていった時代です。
血液の循環や臓器の役割など、身体が“流れ”を持つ存在として描かれるようになったことは、近代医療の礎となります。17世紀に入ると、ハーヴェイが血液循環の仕組みを解明し、身体は機械のような機能を持つ存在として捉えられるようになります。
観察・測定・実験によって得られた知識は、医療の精度を飛躍的に高めました。
ただし、この時代の医療はまだ“治す”というより“理解する”ことに重きが置かれており、実際の治療現場では民間療法の役割が依然として大きかったとも言えます。
日本の中世から近世へ──混ざり合う医療文化
仏教、儒教、陰陽道、そして中国医学。
多様な思想が交錯するなかで、日本独自の身体観と医療文化が形成されていきました。
民間では“触れる技術”が根づき、現代の整体にも通じる実践が見られます。
江戸時代に入ると、幕府直轄の医学所(例えば「医学館」)が設けられ、中国医学を中心とした理論と実践が体系化されていきました。
一方で庶民の間では、“養生訓”に代表されるような日々の暮らしに根ざした身体ケアが重視され、「病になる前に整える」という思想が広がっていきます。
また、『医心方』の普及や漢方医学の体系化が進み、武士や町人たちにも「養生」や「未病」といった身体観が浸透していきます。
民間では、按摩や指圧、柔術などの“身体に触れる技術”が発達し、「調える」「めぐらせる」といった発想が生活の中に根づいていきました。
整体の源流のひとつとも言えるこの流れは、時代を越えて息づいてきたのです。
さらに18世紀後半には、杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳が行われ、蘭学を通じて西洋の解剖学的知見が日本にも本格的に導入されました。こ
れは、身体を「構造」として視覚的に理解する医療の到来を象徴する出来事であり、従来の東洋的身体観との接点と衝突を生み出していきます。
触れる文化と民間療法の継承
制度化された医療の陰で、人々は手を当てることを手放しませんでした。
専門家でなくともできる“手当て”や民間療法は、身体感覚に寄り添う実践として、地域に根づいていきました。ヨーロッパでも日本でも、医学が専門化・科学化する一方で、人々の日常には“触れる医療”が残されていました。
産婆、薬草師、旅の治療師、家族の手による手当て──。
近代医療の制度からこぼれ落ちた場所でこそ、“手を当てること”“整えること”は大切にされてきたとも言えます。
身体感覚に基づくケアの形は、近代化の中でも完全に消えることなく、地域に、家庭に、文化として受け継がれていきました。
“全体を見る視点”の周縁化と静かな継承
身体が機械のように扱われる一方で、目には見えない“つながり”や“流れ”を感じ取り、それに触れて整えるという感覚は消えることなく受け継がれていきました。
整体の原点は、そうした静かな歴史の中に息づいています。18世紀以降、医療はますます制度化・機械化されていきます。
身体は構造と機能の集積とみなされ、“人間らしさ”や“感覚”は医学の中心から外れていきました。
それでもなお、「身体を全体として観る」「流れとして整える」という感覚は、民間の知や手技の中に静かに残されていました。
現代の整体は、まさにそうした視点──“触れることの力”や“身体のつながりへの感覚”──を受け継ぎ、今ふたたび見直されている存在なのかもしれません。
※ 本記事は歴史的な資料・文献をもとに構成されていますが、一部に筆者の解釈や仮説が含まれます。医療行為の効果を示すものではありません。
参考文献:
『人体の構造』ヴェサリウス
『身体と医療の歴史』ジャン=ピエール・ヴェルナン編
『医心方にみる日本古代医学』石川秀樹
『東洋医学の思想』浅川要
『日本漢方と養生文化』渡辺幸三

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